大坂の陣から400年。豊臣秀吉が築いた初代大坂城とは?

地下に眠る秀吉の大坂城

豊臣秀吉が天下統一の拠点として築城した初代大坂城は、「三国無双の城」と讃えられる豪壮華麗な城であったと伝えられています。しかし、1615年の大坂夏の陣で豊臣方が敗れた後、徳川幕府により豊臣大坂城を覆い隠すように徳川大坂城が築かれて以来、今も地下に眠り続けています。

秀吉は、賤ヶ岳合戦により柴田勝家を倒し大坂を手中にすると、本願寺の跡地に天下に比類なき城郭を築き始めます。本丸、二の丸の規模は現在の大阪城とほぼ同じで、それを取り囲む2km四方にもおよぶ惣構を備えた大城郭でした。都市大阪の基礎は、この秀吉の大坂城と城下町建設によって形成されたといえるのです。しかし、栄華を誇った豊臣氏も秀吉の死後、慶長19・20年(1614・15)の大坂冬・夏の陣によって大坂城と共に滅亡してしまいます。豊臣氏の大坂城は、徳川幕府の再築工事によって地中深く埋められてしまうのです。

豊臣秀吉辞世の句「つゆと落ち つゆときへにし わが身かな なにわの事も ゆめのまたゆめ」・豊臣秀吉像

地下石垣の発見

昭和34(1959)年、大阪市と大阪市教育委員会、大阪読売新聞社は、「大坂城総合学術調査団」を組織し、大阪城の謎の解明に乗り出しました。その調査のなかで、思いがけない発見がありました。上町台地の地質を調査するために行ったボーリング調査で、地下約9.3mの位置から石垣と考えられる花崗岩が確認されたのです。

そこで、花崗岩が見つかった地点を中心に3m四方の範囲を掘り下げる調査が行われました。その調査によって地下7.3mの位置で石垣が発見されました。見つかった石垣は高さ4m以上あり、石垣上端には粘土がはられ、その上面は火災によって火を受けていました。

見つかった石垣はいつ造られたのか

当時の新聞には、秀吉の城発見か、と大きく取り上げられました。見つかった石垣の石は、現在の大阪城の石垣と比べると、小ぶりの自然石が用いられており、石の積み方も「野面積」といわれる古いものでした。しかし、調査団は豊臣期の石垣であると断定することには慎重でした。

ところがその翌年、偶然にも豊臣氏の大坂城本丸図が東京で発見され、その詳細な検討から、発見された石垣が豊臣氏大坂城の本丸「中ノ段帯曲輪」の石垣であると考えられるようになったのです。

たび重なる偶然の大発見

昭和59(1984)年に行われた「金蔵」東側の水道工事に伴う調査で、またもや地下石垣が見つかりました。石垣の上端は地表下1.1mという浅いところにあり、石垣の高さは約6mありました。石垣が築かれた地面の高さは、昭和34年に発見された石垣上端の高さとほぼ同じで、石垣が築かれた地面が中ノ段帯曲輪、上端の地面が「詰ノ丸」であることが明らかとなったのです。

豊臣期・徳川期の本丸地盤
昭和59年発見の大坂城石垣

豊臣期・徳川期本丸重ね合わせ図

豊臣期・徳川期本丸地盤

作成:大阪市文化財協会

2013年 大坂城豊臣石垣公開プロジェクトへ

二つの石垣の発見によって、秀吉が築いた大坂城の石垣が良好な状態で存在することが明らかになりました。しかし、世紀の大発見であったこの石垣は調査が終わると、再び埋め戻され、現在の大阪城では豊臣時代の石垣を見ることはできません。

そこで、大阪市では、大坂夏の陣から400年の節目を迎えるにあたり、初代大坂城の昭和59(1984)年発見の石垣を、多くの皆様のご支援のもと再び掘り起こし、公開する事業に取り組むことといたしました。歴史ロマンあふれるこのプロジェクトが成功すれば、地中深く眠っている豊臣大坂城の本物の石垣を常に見ていただくことが可能になります。秀吉が築いた“三国無双の城”と徳川幕府の再築になる“日本一の石垣の城”を見くらべて、日本の歴史がダイナミックに転換した激動の時代を体感していただける場になるはずです!
大阪城の歴史文化の魅力向上にご賛同いただき、多くの皆様のご支援をお願い申しあげます。

※江戸時代以前は「大坂城」とし、明治維新後は「大阪城」と表記しています。

公開施設完成予想図

特別史跡大坂城跡の特徴である歴史の重層性を象徴する遺構のひとつとして、豊臣期大坂城の詰ノ丸石垣を露出公開展示し、大阪城の本物の歴史文化を体感できる施設をめざします。

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大坂城 豊臣石垣公開プロジェクト
昭和59年に発見された豊臣時代の石垣の公開施設に
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豊臣石垣コラム

豊臣石垣をめぐる様々なお話を掲載しています。

豊臣石垣コラム
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大阪城の高さ色いろ

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豊臣時代と徳川時代大坂城の高さにまつわる...

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Vol.88

地層から見る大坂城北辺の豊臣時代

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豊臣石垣コラム
Vol.87

公開事業に伴う発掘調査の経過(6)

公開事業に伴う発掘調査の経過(6)― 詰ノ丸石垣の発掘 ―

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豊臣石垣コラム
Vol.86

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大坂城本丸出土の豊臣期鯱瓦

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ビルの谷間に残る徳川期の石垣

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埋められた寝屋川護岸の石垣

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大阪城北辺の徳川期石垣

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三の丸北曲輪北面の石垣など大阪城北辺の徳川期石垣を...

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新しい大坂本願寺像に出会える北御堂ミュージアム

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徳川期大坂城の井戸

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いただいた疑問の解説と徳川期大坂城に関る井戸の...

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大阪城に残る徳川期の井筒(下)

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Vol.59

大阪城に残る徳川期の井筒(上)

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修道館西に置かれた井筒

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Vol.57

豊臣時代の陶磁器

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「ミライザ大阪城」建設時の大坂城の遺構

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Vol.55

大阪城に残る台地の痕跡

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現在に残る豊臣大坂城の痕跡

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Vol.53

現在に残る豊臣大坂城の痕跡

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Vol.52

本丸広場の手水鉢

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大阪城本丸広場にある観光ボランティア詰所の北に、花崗岩製の手水鉢が置かれ...

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「秀吉が見た土人形」に続く第二段。小寺氏の御着城、姫路城下町などで出土した土人形を...

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山里丸の刻印石と残念石

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2月10日に大阪歴史博物館で行われた香川県小豆島...

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山里丸の刻印石と残念石

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大坂城の金箔飾瓦

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発掘された豊臣時代の「お歯黒壺」

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秀吉が見た土人形

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豊臣時代を特徴付けるちょっと変わった出土品を...

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大阪城の近代 〜兵隊と器〜

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発掘調査で発見された遺物から、軍に関わる近代の資料を...

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豊臣期上町の町割と下水道

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豊臣期の下水道は、徳川期の下水道に引き継がれていない...

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「太閤(背割)下水」考

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「太閤下水」とは、大阪に残る近世の下水道の呼称で...

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Vol.32

真田丸から考える焼物の地域性

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信長の安土城、秀吉の大坂城、家康の駿府城など、産地から...

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Vol.31

ドラマの中の焼物と秀吉時代の焼物

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真田丸攻略に築かれた築山

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真田丸の周囲に徳川方が築いた「築山」三地点について...

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Vol.29

豊臣大坂城の瓦を焼いた達磨窯

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Vol.28

見えてきた徳川期の姿

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発掘調査で見えてきた徳川期の大坂城。代表される5つの...

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真田丸の具体像に迫る

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現在注目を集めている真田丸について大阪文化財研究所の...

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秀吉が有馬温泉に建設した「湯山御殿」と大坂の関係について...

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豊臣時代大坂の出土銭

豊臣石垣の石材

石材の調査を行なった大阪文化財研究所の小倉徹也さんに豊臣石垣の石材の特徴について紹介して...

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Vol.24

豊臣時代大坂の出土銭

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今回は、豊臣時代にどのような銭貨が使われていたのか出土銭について紹介したいと思います。遺跡の発掘を...

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Vol.23

伝世品と出土品

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今回は、伝世された茶碗を見学して考えた、秀吉時代の大坂城の出土品について紹介します。茶の湯は当時の武家に...

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豊臣石垣コラム
Vol.22

御勝山古墳と秀忠の本陣跡 その2

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前号に続き、冬ノ陣時の秀忠の本陣跡、御勝山の姿を追います。御勝山古墳の発掘調査は...

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豊臣石垣コラム
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大坂冬ノ陣で徳川家康は茶臼山に本陣を築きましたが、その時将軍であった秀忠の本陣は...

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豊臣石垣コラム
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「茶臼山」こぼれ話

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「前方後円墳」とされていた前方部の調査で何が分かったのかなど、茶臼山に関るこぼれ話を紹介したいと思います...

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大阪城が位置する上町台地周辺には大坂ノ陣に関わりのある史跡がいくつも残されています。その中でも天王寺公園の中に...

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「金明水」井戸と「銀水」井戸の調査

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徳川期大坂城本丸には5基、山里丸には2基の井戸がありました。国立国会図書館所蔵の...

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豊臣石垣コラム
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大阪市指定文化財となった瓦と上町の大名屋敷

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本コラムで昨年5月に紹介した豊臣大坂城詰ノ丸出土の陶磁器と金箔瓦が平成26年度の...

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豊臣石垣コラム
Vol.16

徳川大坂城外堀に残る豊臣大坂城?の痕跡

徳川大坂城外堀に残る豊臣大坂城?の痕跡

前回のコラムで南外堀々底から見つかった石列が豊臣期にさかのぼる可能性があることを...

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豊臣石垣コラム
Vol.15

南外堀々底に眠る石列

南外堀々底に眠る石列

今回は昭和46年(1971)から47年にかけて発掘調査された南外堀の堀底に眠る石列を...

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豊臣石垣コラム
Vol.14

玉造口で見つかった豊臣時代の堀

玉造口で見つかった豊臣時代の堀

大坂城のもう一つの出入口である玉造口で見つかった豊臣時代の堀について紹介します...

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臣石垣コラム
Vol.13

大手前で見つかった豊臣時代の堀

大手前で見つかった豊臣時代の堀

豊臣氏の大坂城は本丸、二の丸、三の丸、惣構の四重構造であると考えられていました...

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豊臣石垣コラム
Vol.12

大阪城北辺に保存された豊臣時代の石垣

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大坂城跡では1000件を超える発掘調査が行われています。そのなかで、徳川期大坂城でも...

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豊臣石垣コラム
Vol.11

もう一つの地下石垣

もう一つの地下石垣

豊臣大坂城の天守の位置は、現天守閣の東にある配水池の北東隅にありました。徳川期の天守台の...

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豊臣石垣コラム
Vol.10

防空壕を掘って見つかった地下石垣

防空壕を掘って見つかった地下石垣

桜門土橋の東側の空堀に、第二次大戦中に掘られた防空壕の出入口があるのを...

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豊臣石垣コラム
Vol.9

石垣発見のきっかけとなった配水池

石垣発見のきっかけとなった配水池

公開予定の豊臣期詰ノ丸石垣のすぐ北側に石垣を巡らせたこんもりとしたマウンドが...

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豊臣石垣コラム
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大阪城断面図のいろいろ

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太閤なにわの夢募金に1万円以上のご寄付をいただいた方にお送りする記念メダルの...

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豊臣石垣コラム
Vol.7

確認された豊臣期大坂城東中ノ段石垣

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豊臣時代の本丸が三段造りであり、公開予定の石垣が本丸の最高所にある...

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豊臣石垣コラム
Vol.6

詰ノ丸石垣の調査で出土した金箔瓦と陶磁器

詰ノ丸石垣の調査で出土した金箔瓦と陶磁器

豊臣大坂城の本丸のようすを描いた『大坂城図屏風』や『大坂夏の陣図屏風』では...

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豊臣石垣コラム
Vol.5

再発掘された豊臣石垣の特徴

再発掘された豊臣石垣の特徴

豊臣期大坂城の中心部である詰ノ丸石垣に使われた石材には、本来別の用途に...

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豊臣石垣コラム
Vol.4

30年ぶりに豊臣石垣を発掘しました

30年ぶりに豊臣石垣を発掘しました

平成25年度から始まりました豊臣石垣公開プロジェクトに伴う発掘調査として...

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豊臣石垣コラム
Vol.3

発掘調査で出土した徳川期大坂城の鬼瓦

発掘調査で出土した徳川期大坂城の鬼瓦

発掘調査では、徳川期大坂城の石列のほか、瓦を捨てたごみ穴(=瓦溜まり)が...

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豊臣石垣コラム
Vol.2

地下石垣からわかる2つの大坂城の関係

地下石垣からわかる2つの大坂城の関係

現在の天守閣が建っている天守台から南に45mの場所に直径2m、高さ70cmほどの...

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豊臣石垣コラム
Vol.1

いよいよ本格的な発掘調査が始まりました

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平成25年7月8日から10月10日まで豊臣石垣公開のための最初の調査となる発掘調査を...

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大坂城 豊臣石垣公開プロジェクト
昭和59年に発見された豊臣時代の石垣の公開施設に
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