本年2月号で真田丸について取り上げました。真田丸の攻防は大坂冬ノ陣における激戦の一つで、これまでにも色々な復元案や復元図が提示されています。
先のコラムでは真田丸の中心部が明星学園あたりにあり、その東西の曲輪の広がりについて、どのような地形をもとにそれらの復元がなされているのかという検討も含め、復元案を紹介しています。
ところで、真田丸については前々から大坂城についてご教示をいただいている城郭研究家の志村清さんに、お聞きしていたことがありました。今回は2月号とは少し異なる観点から真田丸復元に関わる話題を紹介したいと思います。
図1.大坂冬ノ陣図屏風に描かれる真田丸と築山
2016年1月6日に放送されたNHKの『歴史秘話ヒストリア-徹底解明!これが“真田丸”だ〜地中に残された幻の城〜』のなかで、奈良大学学長の千田嘉博さんが戦後まもなく米軍が撮影した写真の検討から、真田丸の周囲に徳川方が築いた「築山」の痕跡が確認できることを紹介されていました。
志村さんからお聞きしていたのはこの築山の痕跡についてのことです(※1)。築山の痕跡は昭和40年代にはその一部がまだ残っていたというのです。
志村さんが実際に確認したり、築山だと想定している「遺構」は三地点です。
一つは貞享4年(1687)刊行の『新撰増補大坂大絵図』に描かれた、心眼寺を北端として南に続く寺町南端の「慶傳寺」の南に「加賀築山」(※2)の文字が書かれている地点です(図2・3-②)。
志村さんはここにあった築山の痕跡は確認されておらず、『豊臣秀吉の居城 大阪城編』の著者である櫻井成廣氏から高まりが残っていたことを聞いておられたそうです。
図2、明治19年の測量図に残る築山の痕跡
二つ目は、明治19年の陸地測量部の地図に「字築山」と書かれた地点です(図2-③)。この場所は『新撰増補大坂大絵図』では「宝樹寺」の南の区画に「越前築山」と書かれており、同じ地点を指します(図3-③)。
この場所の高まりについては実際に確認できたそうで、高まりのある伝光寺の敷地の南に溜池があり、この溜池は築山を築くために掘られてできた池なのではないかと考えていたということです。
三つ目は、真田の抜け穴として有名な三光神社です。明治19年の地図には「姫山神社」(※3)と書かれ、境内にいくつかの高まりが描かれています。
このうち最も東北にある高まりに武内宿弥を祀る社があり(現在は平地となっている)、その高まりの写真が明治45年に刊行された『日本史蹟大系』に掲載されています。この写真に写る高まりが徳川方の築山の名残であると考えていたそうです(図4)。
築山が築かれる場所は徳川方の陣地だと考えられますので、三光神社一帯の高まりは真田丸の範囲から外れ、徳川方の陣地となっていただろうと推定されます。このことは、これまでにも言われていたことですが三光神社一帯の丘陵が宰相山と呼ばれ、徳川方の加賀宰相(前田利常)の陣地であったことの一つの証拠になるのではないかとのことです。
図3.絵図に描かれた真田丸、築山跡
図4.三光神社と宰相山・真田山の地形変化○築山推定地
この想定は櫻井成廣氏の復元案(図5)に沿うものです。櫻井氏の復元では明星学園のある高まりと三光神社が位置する宰相山を別物と捉え、そのエリアを分ける落ちが、心眼寺を北端として南に延びる寺町の東側、現在の真田山小学校の敷地に描かれています。
この復元は、明星学園の敷地が真田丸の主郭であることは同じですが、三光神社の高まりを真田丸東側の曲輪と捉えようとする2月号の復元案(図6)とは異なるものとなります(※4)。
また、浅野文庫所収の『諸国古城之図』「摂津真田丸」については、江戸時代になって調査された当時の地形を描いたものであり、南端を限るように描かれている落ちは、後の味原池に通じる谷地形を示したものではないかと考えているとのこと。
真田丸の堀は『諸国古城之図』で調査された時点ではすでに埋められていて、今回NHKで放映された電気探査で見つかった落込みが真田丸の堀に当たるのだろうと考えているとのことでした。
図5.大阪城外曲輪豊臣時代・現代対照地図(赤豊臣)
お話をうかがった後、築山跡と指摘された場所を訪ねてみました。三光神社では、想定される場所は神社の境内ではありますが、今では平地となっていて築山の痕跡を示すものは確認できませんでした。「加賀築山」(図3-②)と書かれる場所も、高まりは確認できませんでした。図3-③で「越前築山」と書かれる場所は建物が建っており、地形を観察できる状況ではなくなっていました。
しかし、敷地内にある建物は、周辺道路より高いところに建てられており、元からあった高まりを生かした土地利用に見えました。ただ、それが築山の痕跡に制約されたものかどうかは不明です。
このように地上の痕跡は徐々に失われ、以前の地形を現地で確認することが困難になっています。しかし、その場所に立つことで微妙な地形や距離感を体感することができました。すでに現地を訪れた方も多いでしょうが、築山の痕跡を訪ねて真田丸を再訪されるのも一興ではないでしょうか。
図6.真田丸復元案
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