平成26年1月から3月にかけて、公開予定の豊臣石垣の部分的な再発掘を行ないました。その内容については、現地公開を行なうと共に、平成26年3月 ・4月号 の本コラムで紹介したほか、発掘調査を担当した大阪文化財研究所の絹川さんによっても詳しく紹介されています(絹川一徳2014「再び姿を現した秀吉の大坂城石垣」『葦火』170号(公財)大阪市博物館協会大阪文化財研究所)。
ところで、再発掘では石垣の残存状況を確認したほか、露出した石垣の石材がどのようなところから運ばれてきたのかを検討するための基礎的な調査も実施しました。今後、公開する石垣の全容が明らかになれば、さらに詳しい検討ができると思いますが、今回は、石材の調査を行なった大阪文化財研究所の小倉徹也さんに豊臣石垣の石材の特徴について紹介していただきます。
図1.再発掘した豊臣期大坂城詰ノ丸の石材(1)
豊臣石垣に使用された石材は大小様々で、その種類も多様です(図1)。図2 に示すように、花崗岩類(①・②・③・⑩)、火山岩類(④・⑬)、結晶片岩類(⑥・⑭)、斑岩(⑤・⑫)、堆積岩類(⑦・⑧・⑪)、斑れい岩(⑨)があります。
産地については六甲山地をはじめとする山陽帯のものや生駒山地のもの、北摂山地の丹波帯や紀伊山地の三波川帯のものなど兵庫・京都・大阪・和歌山と近畿を中心に含まれています(図3)。
しかし、火災による風化のため不明なものも多くあります(特に顕著に火を受けているもの:*)。例えば、古代寺院のものと思われる建物の礎石3は夏ノ陣によると考えられる火災により表面が赤く変色してしまっています。花崗岩であることは間違いないのですが、風化も著しいため山陽帯のものの可能性があるとまでは言えても、決定には至っていません(写真1)。
古墳の石棺素材の可能性のある石材(写真2)、一石五輪塔(写真3)、石臼(写真4)など、別の用途に使用された石材の転用が目立つ点が徳川期大坂城の石垣との大きな違いです。
また、石材と石材の隙間を埋める間詰(まづめ)や石垣裏込(うらごめ)の中には瓦片(写真5)や陶器片(写真6)、貝化石(写真6・7)までもが含まれており、大阪周辺の寺院や墓地、古墳からも石垣に利用可能なものが徹底的に集められたことが容易に推測されます。そして、この転用石材が含まれることが産地の推定を一層困難なものにしているのです。
図2.再発掘した豊臣期大坂城詰ノ丸の石材(2)
図3.近畿地方領家帯の地質図および変成分帯図
写真1.石垣に使われている礎石の表面状況(右は拡大写真)
写真2.古墳の石棺素材の可能性がある石材
写真3.一石五輪塔の一部
写真4.石臼と瓦片
写真5.瓦片
写真6.裏込内の陶器片と貝化石
写真7.貝化石(移動させ撮影)
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