先月まで4回にわたって大坂ノ陣で徳川方の陣がおかれた茶臼山と御勝山について取り上げました。大坂ノ陣において、もっとも有名な真田丸については機会を改めて取り上げさせていただき、今回は、伝世された茶碗を見学して考えた、秀吉時代の大坂城の出土品について紹介します。
茶臼山や御勝山の陣地には、茶室が備えられ戦場の中でも茶がたしなまれていました。信長は戦功の褒美として茶道具を与えるなど、有名な茶道具は一国の領地に匹敵するといわれたことは有名です。茶の湯は当時の武家にとって日常と密接に結びついた存在であったのです。
茶道具の中でも特に名品とされるものが「大名物」(※2)や「名物」などと呼ばれますが、今年4月〜6月にかけて「大坂の陣400年記念事業」の関連事業として東洋陶磁美術館で開催された特別展『黄金時代の茶道具-17世紀の唐物』において多くの大名物や名物を観覧することができました。
なかでも筆者が興味を覚えたのが「荒木」の銘がつけられた唐草文染付茶碗(図1)で、2014年の大河ドラマ『軍師 官兵衛』のなかでも主要な役どころであった荒木村重(※2)が所持した染付茶碗です。
図録の作品解説をみますと「大名物」であり、荒木村重→千利休→徳川家康の手を経て、尾張家初代義直に伝えられ、現在は徳川美術館に所蔵されています。
http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h23/04/obj04.html
内面の底と外面側面に呉須(※3)で唐草文が描かれ、乳白色の釉がかかっています。全体に貫入(※4)が入り文様は不鮮明で、この趣に当時の茶人が侘を感じ、愛蔵したとみられる、と説明されています。生産地は中国福建省の窯で焼かれたもので、16世紀の作品とされています。(東洋陶磁美術館2015、大坂の陣400年記念事業『特別展「黄金時代の茶道具-17世紀の唐物」』)
図1.大名物 銘「荒木」スケッチ
さて、この太い線描の文様をもち、くすんだ釉を施す染付は大坂城や16世紀後半の城郭からたくさん出土しています。秀吉や秀頼が生きた時代は磁器質の染付は日本ではまだ焼かれておらず、ほとんどは中国で生産されたものが輸入されています。その染付の中に明らかに胎土が軟質で釉の発色が悪いものと、焼き上がりのよい二種があります。私達は、薄く白く焼き上がったものを「精製品」とよび、それ以外の分厚い器壁で文様が滲んだ染付を「粗製品」と呼んで区分しています。精製品は景徳鎮で焼かれたもの、粗製品は中国南方の福建省などで焼かれたものと考えていました(※5)。
「荒木」は大坂城などから出土する粗製品(図2)と釉や呉須の発色、文様の描法などが共通しています。これらの特徴を持った染付は大坂城だけではなく、東京都・八王子城(写真1)や小寺氏の居城である姫路市・御着城などでも出土しています。ただ、「荒木」は大坂城などから出土する粗製品と異なる点も多くあります。
図2.大坂城跡出土の粗製染付碗写真・実測図
例えば、大坂城や八王子城の碗と比べますと、口の大きさはほとんど同じですが、高さは「荒木」のほうが2㎝ほど高く、その分、丸みを持ち深みのある器形となっています。
外面の文様をみますと、「荒木」は口の部分の外側に2本の圏線をめぐらせ、この圏線の中に波文と斜線を組み合わせた文様を描いています。
大坂城や八王子城のものは圏線が1本巡るだけです。「荒木」に描かれる胴部の唐草文はあまり類例を見ない文様ですが、太い線で文様を描くこの時期の粗製染付碗の特徴をよく表しています。
また、八王子城の碗は焼成時に重ね焼を行うため、内面底の釉をリング状に剥ぎ取っていますが、「荒木」は全面を施釉し文様を描いています。
ところで、内面底の文様はどの図録でも唐草文とされていますが、この時期の粗製の碗・皿の多くに描かれる「草花文」(図2・写真2)ではないかと思われます(※6)。
以上のように、「荒木」は大坂城などから多数出土する粗製の染付碗と共通点をもちながら、文様構成や、プロポーションの違いなど、異なる部分も多くもった碗であるといえるのです。
では、この差はどこに原因があるのでしょうか。
一つは「荒木」が作られた年代が大坂城や八王子城から出土する粗製染付碗よりも古いことにその理由があるのではないかと思います。口の部分の文様や口径と器高の比率の違いは、年代差で説明できます。
写真1.八王子城御主殿出土の粗製染付碗
写真2.大坂城出土の粗製染付皿
しかし、両者の違いには年代差のみではない別の理由があったのではないかと考えます。「荒木」には別名があり「荒木高麗」とも呼ばれたそうです。中国製の染付でありながら、朝鮮半島で生産された焼物の趣を持った碗と理解されていたのかもしれません。少なくとも、茶人の審美眼にかなう何かがあったのでしょう。筆者はそれを理解できる境地にはなかなか至りませんが、発掘調査で出土する何千、何万という伝世されなかった焼物との違いがどこにあるのだろうか、と思いながら「荒木」を観察しました。もちろん、正しいと思える答えはでてきませんが、伝世品から出土品に思いをめぐらせることも鑑賞法の一つといえるのではないでしょうか。
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