太閤秀吉が築いた初代大坂城の石垣を発掘・公開への取り組みと募金案内。

豊臣石垣コラム

見えてきた徳川期の姿

大河ドラマ『真田丸』の人気は上々で、真田出丸の遺構についても注目を集めています。先月号では(公財)大阪市博物館協会、文化財研究所の市川創さんに大坂城惣構を含め最新の復元検討の紹介をしていただきました。

今後も、異なる視点から真田出丸復元案などもご紹介できればと思いますが、今月はこれまで3年にわたって行なってきました徳川期の発掘調査の状況を取りまとめてご報告したいと思います。

“豊臣石垣公開事業”に伴う発掘調査は平成25年度から始まりました。平成25年度は2期に分け、その後、平成26年度、27年度と計4度にわたる発掘調査を実施しました。平成27年度の調査で、公開施設建設予定地の徳川期までの調査はほぼ終了し、これから、施設建設のための設計などの作業にかかることとなっています。

なお、注目される調査成果については発掘調査を担当した(公財)大阪市博物館協会、大阪文化財研究所の情報誌『葦火』に詳しく紹介されていますので、ご参照ください。

写真①.重要文化財「金蔵」と石列・石組み溝の調査状況

写真①.重要文化財「金蔵」と石列・石組み溝の調査状況(南から)

平成26年度調査

図1.徳川期の遺構全体図と豊臣期詰ノ丸石垣(2013〜2015年度調査)

2016年2月6・7日実施の(OS15-4次)現地公開資料に加筆

図1.徳川期の遺構全体図と豊臣期詰ノ丸石垣(2013〜2015年度調査)

さて、豊臣石垣公開事業にこの場所が選ばれたのは、豊臣期の石垣が残っていることが明らかであり、加えて徳川期の絵図に建物が描かれておらず空地であったと考えられる場所だったからです。とはいえ、徳川期の遺構の状況は発掘してみなければ分からず、確認のための調査を平成25年度から行なうこととなったのです。

その結果、予想を超える多数の遺構が発見されました。発見された遺構はその性格によって大きく5つに分けることができます。一つは現存する重要文化財の金蔵に関するもの、二つ目は18世紀から19世紀の砂利敷き通路に関わるもの、三つ目は大坂城の土地利用の変遷に関するもの、四つ目は徳川初期の大坂城再築に伴うもの、そして、五つ目が徳川期の遺構を調査する過程で姿を現した豊臣大坂城詰ノ丸に関する遺構です。

一つ目の金蔵に関わる遺構は、平成25年度から27年度にかけて調査を行い、現存する金蔵を取り囲んでいたであろう塀に伴う遺構と考えられる石列と石組み溝、そして石列と金蔵の間で塀の控柱と考えられる掘立柱の柱穴が見つかりました(写真①②)。

徳川期の絵図では金蔵を四角く取り囲むように柵が描かれ、さらにその外側を画する塀が描かれています。発掘で見つかった石列は外側の区画に対応する遺構ではないかと考えられています。

二つ目の石敷き通路跡は、平成26年度の調査で確認されました(写真③)。馬印櫓周辺から天守台の東側を通る方向をもち、幅約2.5m、両端に深さ約0.1〜0.2mの浅い溝を掘っています。分岐する枝道の存在や路面の手直しが確認されている場所があります。

天明3年から嘉永元年(1783〜1848)頃の大坂城を示すといわれる大阪城天守閣蔵の『浪華城全図』には、金蔵の東側の空地に通路と考えられる表現があり、見つかった通路跡がこのような遺構に当たるのだろうと思います。

写真②.重要文化財「金蔵」と石列・控柱の調査状況(南から)平成27年度調査

写真②.重要文化財「金蔵」と石列・控柱の調査状況(南から)

平成27年度調査

写真③.砂利敷き通路跡の調査状況(南東から)平成26年度調査

写真③.砂利敷き通路跡の調査状況(南東から)

平成26年度調査

写真④.本丸東雁木、裏込めと盛土の状況(北から)

写真④.本丸東雁木、裏込めと盛土の状況(北から)

平成27年度調査
京嶋覚2016「大坂城本丸を掘るその7徳川期の土木技術と建築技術」『葦火』180号に加筆

三つ目の土地利用に関する遺構としては、敷地ほぼ全域で発見される瓦を廃棄したゴミ穴があります。廃棄された瓦の中には三つ葉葵の家紋を表した鬼瓦が多数含まれており、時期的には17世紀のものが含まれています。

おそらく、本丸内にあった建物が解体され瓦が廃棄されたものと考えられています。瓦の廃棄が想定される事象には万治3年(1660)の火薬庫の爆発による天守などの被害、寛文5年(1665)の天守への落雷、本丸内の建物の解体修理などが考えられます。砂利敷き通路跡はこの瓦廃棄穴が埋められた後、その上に造られている場所があり、本丸内における土地利用の変遷を示しています。

四つ目とした徳川初期の再築工事に伴う遺構は、調査地全域で確認される厚い盛土層を指しています(写真④)。豊臣石垣はこの徳川初期の盛土層の下に埋まっており、盛土の厚さは約6mに達することがわかっています。平成25〜27年度の調査ではこの厚い盛土層の上面で調査を終了しており今後、この盛土層を発掘し豊臣期の石垣と遺構面を掘り出してゆくことになります。

図2.石垣断面模式図京嶋前掲より転載

図2.石垣断面模式図・京嶋前掲より転載

(渡辺武監修『大阪城とまち物語』挿図を改変)

五つ目とした豊臣大坂城詰ノ丸の遺構は、徳川初期の盛土層上面を検出していくと、豊臣期の詰ノ丸の部分だけは、徳川期の盛土がほとんど認められず豊臣期の遺構面の高さと、徳川初期の盛土層上面の高さが変わらないことが分かりました(写真⑤)。

言い換えれば、徳川期の大坂城再築工事の盛土高さが、豊臣大坂城の詰ノ丸の高さに合わせることを目指していたことが分かるのです。この詰ノ丸から中ノ段にかけての盛土層の発掘を次年度以降実施し、公開石垣の全貌を明らかにする作業に移りたいと考えています。

以上のように、平成25年度から27年度にかけて豊臣石垣公開施設予定地の徳川期の遺構の状態が明らかとなりました。これからも文化庁の指導を仰ぎながら豊臣大坂城の石垣の発掘と公開に向けて準備を進めてまいりますので引き続き、ご支援のほどお願い申し上げます。

写真⑤.詰ノ丸石垣検出状況(北東から)

写真⑤.詰ノ丸石垣検出状況(北東から)

平成27年度調査

表1.発掘調査の成果を報告した(公財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所の情報誌

執筆者 刊行年 タイトル 掲載誌/号
市川 創 2013 大坂城本丸を掘るその1「徳川期金蔵の区画施設」 『葦火』167号
市川 創 2014 大坂城本丸を掘るその2「徳川期大坂城の瓦」 『葦火』168号
絹川一徳 2014 大坂城本丸を掘るその3
「再び姿を現した秀吉の大坂城石垣・豊臣期大坂城の詰ノ丸石垣の再発掘」
『葦火』170号
櫻田小百合 2014 大坂城本丸を掘るその4「徳川期大坂城の新発見」 『葦火』173号
櫻田小百合 2015 大坂城本丸を掘るその5「徳川期大坂城の新発見Part2」 『葦火』174号
櫻田小百合 2015 大坂城本丸を掘るその6「徳川期大坂城天守の鯱瓦?」 『葦火』176号
京嶋 覚 2016 大坂城本丸を掘るその7「徳川期大坂城の土木技術と建築技術」 『葦火』180号

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