11月3日・4日に大阪城天守閣前広場で開催された「幕末150年フェスティバル」では、太閤なにわの夢募金実行委員会もブースを出し、古銭の拓本体験や、手作りした公開施設の完成復元模型を展示し、事業のピーアールを行ないました。
また、豊臣時代の大坂を象徴する遺物である金箔瓦を展示し、多くの方に実物の金箔瓦を間近に見ていただくことができました。今回展示したのは大阪歴史博物館とNHK大阪放送局の敷地(中央区大手前4)の調査で出土した軒丸瓦と軒平瓦でした。
ところで、軒丸瓦と軒平瓦は一見して使われた場所がわかるものですが、大坂城から出土する金箔瓦には軒丸・軒平瓦以外に、棟を飾るために使われたと考えられている飾瓦(かざりがわら)と呼ばれる瓦があります。正方形や長方形、円形の板状の瓦で、形状によって「方形飾瓦(ほうけいかざりがわら)」あるいは「円形飾瓦(えんけいかざりがわら)」と呼ばれています。
写真1.ミライザ大阪城展示室の桐文方形飾瓦
これらの瓦を展示しますと、「どこに使われていた瓦ですか」とよく聞かれるのですが、実のところよくわからないのです。いずれも、4個から9個の円孔があけられ、瓦を固定するための釘穴と考えられます。このような瓦が実際に使われている建物を見つけたいものだといつも思っているのですが、これだという事例を見つけることは、なかなかできていません。今回は、大坂城の飾瓦について紹介し、皆様のご教示を乞いたいと思います。
飾瓦と呼ばれている瓦は、方形、長方形、円形があります。最も出土例が多いのは方形の瓦です。文様は基本的に家紋を彫り込んだ木製の笵木を使って製作していますが、型紙をあて1点ずつ彫られたと考えられるもの(図1‐2)もあります。しかし、最古の金箔瓦かと注目されている岐阜城の織田信長居館跡の牡丹文方形飾瓦 のように、花弁を60枚もの粘土で作るような手の込んだものは、大坂城では出土していません。
方形の飾瓦には正方形にちかいもの(図1)と、横長の長方形のもの(図2)があります。大きさには一定の規格のようなものがあるようで、正方形のものは、大型品が1辺約28〜30㎝くらい、その次にミライザ大阪城展示室に展示している一辺18㎝ほどのサイズがあります。このサイズの飾瓦は縁に1㎝幅程度の突起をめぐらせます(図1‐3・4)。長方形の瓦は大きなもので長辺24㎝、短辺13㎝(図2‐1)、小さなものは長辺16㎝、短辺10㎝ほどです(図2‐4)。大きさに関係なく長方形の飾瓦には縁帯はありません。
図1.大坂城出土の方形飾瓦(1)1は3点を図面上で復元
図2.大坂城出土の方形飾瓦(2)
円形の飾瓦は、1954年の大阪第1合同庁舎の工事で発見された、ほぼ完形の菊文の瓦があります(※1)。径は45.0㎝あります(図3‐1)。大阪歴史博物館とNHK大阪放送局の敷地の調査では沢瀉(おもだか)文の円形飾瓦が出土しています(図3‐2)。これには縁に隆帯があり、径が40㎝ほどに復元される方形の飾瓦よりやや大きいものです。図3‐3・4は、金箔瓦ではありませんが、三巴文の飾瓦です。3は縁帯があり、4は縁帯がありません。3の径は30cm、4は26㎝あります。方形飾瓦の大型品とほぼ同じ大きさになります。
図3.円形飾瓦
では、これらの飾瓦はどのように使われたものでしょうか。「聚楽第図屏風」や「大坂夏ノ陣図屏風」をみますと主要な建物の軒瓦や棟を飾る鯱、鬼瓦などが金箔瓦として描かれているようです。しかし、飾瓦の状況は絵画からは想定できません。現存する建物に類例がないかといいますと、方形の板状の瓦や円形の板状の瓦が大棟(※2)の側面に飾られる例がいくつかあります。
写真2は兵庫県城崎の寺院の建物です。大棟の側面に方形の家紋瓦(橘文)が取り付けられています。境内に置かれた昔の鬼瓦にも橘が刻まれていました。寺院の創建は室町時代後期に遡るそうですが建物は再建されたものと考えられます。
写真3は和歌山県九度山町善名称院(真田庵)の建物です。大棟の部分に円形の菊の飾瓦が飾られています。建物は18世紀代の創建です。
写真2.兵庫県城崎、本住寺本堂
写真3.和歌山県九度山町、善名称院
写真4.昭和6年復興の現在の大阪城
上記の例を見ますと、大坂城から出土している飾瓦が、このように使われたと考えることはできるのかも知れません。また、材質が瓦に限定されなければ建物の大棟や、破風(※3)の部分に家紋をかたどった飾金具が取り付けられている例は珍しくありません。これらが金箔瓦で作られていた可能性はあるのかもしれません。しかし、飾瓦の大きさには大小があり、小さなものは棟の飾りとしては適していないのではないかと思われます。実のところ、よく分からないのです。どこかで見たことがある、知っているという方は、ぜひご教示を。
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