太閤秀吉が築いた初代大坂城の石垣を発掘・公開への取り組みと募金案内。

豊臣石垣コラム

秀吉が見た土人形

遺跡の発掘をしていますと、出土する時代が限定される、時代を特徴付ける出土品があります。私達が豊臣時代と呼んでいるのは、天正11年(1583)から慶長20年(1615)のわずか32年間ですが、豊臣時代を特徴付けるちょっと変わった出土品を紹介します。

写真1.豊臣大坂城出土の犬の土人形

写真1.豊臣大坂城出土の犬の土人形

分類

写真1は犬の形をした土人形です。手捻りの製品で、正面から見ますと頭を少し傾げ、垂れた耳の下に刺突によって表現される目があります。顔は尖り気味で先端に口を表現した窪みがあります。体長は5㎝ほどで、高さは3㎝ほどの小さなものです。丸い胴体から短い脚部がつき、先端は丸くおさめられ足先の表現はありません。尻尾は粘土粒を貼り付けて表現しており、仔犬を表現しているのではないかと考えられます(※1)。仮にこれをAタイプとします(写真2)。

また、量的には多くありませんがAタイプと異なる特徴をもったものがあります。胴部が平らで長く尖り気味の顔を持ち、顔は正面を向いています。耳の表現はAタイプと同じですが、刺突による目の表現がないのが特徴です。目の表現が無いのか、墨などによって描かれていたのかは出土品からは分かりません。これをBタイプとします。

Bタイプの犬は胴部の作りが特徴的で窪みのある「型」の上で作られている可能性があるのではないかと思っています(写真3)。粘土もAタイプとBタイプでは違っており、Bタイプは瓦の胎土と近いものです。Bタイプの犬が成犬を表現しているのか、Aタイプと異なる犬の種類を表現しているのかは分かりません。

大坂城跡から出土する犬の土人形のほとんどはAタイプです。Aタイプは大きさによって3種類があります。最も多いのは体長が5㎝ほどのものです。また、造作は同じですが、体長が3㎝ほどのミニサイズのものが大阪府警本部新築工事の調査で見つかっています。ミニサイズの製品は現状ではここからしか出土していません。同地点からは100点を超える犬の土人形の出土があり、大阪府警本部地点は犬の土人形の出土数の多さとミニチュア製品の出土という意味で、大坂城のなかでも際立った存在といえます。

また、1点だけですがAタイプに含まれると考えていますが体長が7㎝を超える大型品があります(図1上)。類例が少なく十分検証ができませんが、出土層位が秀吉の大坂城築城より古い大坂本願寺期にさかのぼる例です。また、Aタイプに近い顔つきをしていますが全体的にポッチャリし、尻尾が細く写実的に表現された例も1例見つかっています(※2)。

写真2.2種類の犬の土人形

写真2.2種類の犬の土人形

(左:長さ7.5cm、右:長さ5.1cm)

写真3.犬の土人形(横から)

写真3.犬の土人形(横から)

いつ作られた

これらの犬の土人形が32年間の豊臣時代に万遍なく出土しているのかといいますと、出土時期に偏りがあります。豊臣時代を前半と後半に分けた場合、ほとんどがその前半に集中しています。これはAタイプ、Bタイプとも同じです。歴年代を当てはめると、大坂城の築城が始まる天正11年(1583)から大坂城の三ノ丸工事が行なわれる慶長3年(1598)までの地層と考えています。言い換えますと秀吉存命中の時期にほとんどの土人形が作られていることになります。ただ、すでに述べましたが、豊臣時代より古い地層から1点だけですが、大型の土人形が出土しています。犬の土人形の出現は、大坂城の築城が開始される天正11年よりさかのぼるようです(図1上)。

ところで、天正8年(1580)以前と考えられる姫路市の御着城や置塩城、16世紀後半までと考えられている滋賀県の妙楽寺遺跡からも豊臣期に先行する土人形が見つかっています(※3)。妙楽寺遺跡の土人形は、実測図や写真を見るとBタイプに近いものです。また、御着城や置塩城の土人形は大きさは大坂城のものと近いものですが造作が違っています。大坂城から出土する犬の土人形と異なる系譜があるようです。

図1.本願寺期と豊臣期の犬の土人形

図1.本願寺期と豊臣期の犬の土人形

(上:現存長7.0cm)(財)大阪市文化財協会1992『難波宮址の研究』第9より

出土の広がりと用途

1991年に犬の土人形の研究を報告された嶋谷和彦氏によると、その分布は北は福島県から南は佐賀県までの広範囲におよんでいます(※4)。2008年に行なわれた研究会でも犬の土人形のことがとりあげられていますが、近畿圏を中心に九州から東北地方まで出土が見られます。そのほとんどがAタイプです。大坂城下でまとまった出土があった大阪府警本部の資料を検討した江浦洋さんは、法量や造作の特徴から、A類が6グループに分類されることを明らかにされ、犬の土人形の生産が、複数の熟練した工人によって行なわれていたことを推定されています(※1・5)。

それでは、この犬の土人形にはどのような用途があったのでしょう。江戸時代になると多種多様な土人形が作られ、それらは様々な病封じや招福などのご利益と結び付けられて神社などで販売されていたようです。豊臣期の犬の土人形についても何らかの意味があったはずです。徳川期の犬の人形は安産や子孫繁栄にご利益があったと考えられています。筆者は豊臣期の犬の土人形にも同じ意味があったのではないかと思っています(※6)。

また、全国で出土する犬の土人形の多くは、その共通する特徴から出土が最も集中している大坂から運ばれた可能性が高いのではないかと思うのですが、生産地についてはよく分かっていません。出土が豊臣期の前半に集中するのは、大坂が政治的にも中心を占め、人の往来が激しかった時期と一致していると考えることも可能です。犬の土人形が特定の神社・仏閣と結びついて販売されていたかどうかは分かりませんが、商品として各地に移動したというより、大坂などで入手され、人の移動に伴って各地に広がったと考えてよいのではないかと思っています。

まだまだ謎の多い遺物ですが、一度見ると脳裏に焼き付けられる遺物でもあります。どこかの展示で犬の土人形を見かけられれば、“もしかしたら秀吉も見た土人形かも”と思いをめぐらせてみてください。

※1:大阪府警本部新築工事の「犬形土製品」を検討された江浦洋氏は、耳が垂れる現象が必ずしも仔犬に限られるものではないことを記されている。
江浦洋2000「大坂城跡出土の犬形土製品小考」『大阪文化財研究』第18号(財)大阪府文化財調査研究センター

※2:川村紀子「新種の犬発見-豊臣時代の犬の土人形-」『葦火』95号(財)大阪市文化財協会

※3:姫路市教育委員会1981『御着城跡発掘調査概報』

   夢前町教育委員会2006『国指定史跡赤松氏城跡 播磨置塩城跡発掘調査報告書』

※4:嶋谷和彦「織豊期の犬形土製品-出土遺跡の集成と資料の紹介を中心に-」『関西近世考古学研究』Ⅰ

※5:(公財)大阪府文化財センター2002『大坂城Ⅱ 大阪府警本部庁舎新築工事に伴う大坂城跡発掘調査報告書』

※6:森毅1989「豊臣時代の犬の土人形」『葦火』第23号(財)大阪市文化財協会

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