豊臣時代の遺跡から出土する染付磁器はほとんどが中国からの輸入品であることを、平成28年6月号で述べました。染付(そめつけ)とは白い生地(きじ)にコバルトで様々な図柄を描くもので絵は青く発色します。中国で染付のことを青花(せいか)と呼ぶ所以です。
日本で染付磁器が焼かれるようになるのは「豊臣時代(1583〜1615年)」より後のことです。しかし、豊臣時代に出土する陶磁器の約3割強を青花が占めていますので、大量の陶磁器が中国から輸入されたことになります。
青花には鹿や鷺、ウサギ、蟹、龍、獅子など、実在する動物や空想上の動物、草花や樹果など様々な図柄が描かれています。なかには図柄と器の形とが密接に関連しているものがあります。その一つが今回紹介する、官人を描いた小碗です。
平成27年4月号で紹介しました大名屋敷跡の調査で、口径9cm、器高5cmほどの小ぶりの碗がいくつか出土しました。いずれの碗も内面の底に冠をかぶった官人が描かれています。
全形の分かる図1は口径9.1cm、器高4.5cm、底径3.3cmの大きさです。口縁部の内外と底部と体部の境に圏線をめぐらせる以外は胴部に文様はありません。
底部がふっくらと盛り上がっていますので、このような底部の形を「饅頭心(まんとうしん)」と呼んでいます。官人はこの盛り上がった底部と体部を分ける圏線の内側に描かれます。向かって右に顔を向けるもの(図1・図2-1・2)と、左に向けるもの(図2-3)があります。
写真1.図1.官人図小碗
図2.大坂城出土官人図小碗実測図
さて、描かれた文様を良く見ますと、官人の後ろにも何かが描かれています。単純な線ではありませんので、何か形のあるものを描いているのですが、何を描いているのかはよく分かりません。しかし、同じ小碗の実測図を並べて見比べてみますと、図2-1や3のように線の中に点が入いるものや、描き方に共通する部分があることが分かります。図2-3では、点が描かれている部分が動物の目、その上部が耳、下部が脚を描いているように見えます。このように見てきますと、官人の後ろに描かれているものが動物の顔や脚を表現したものであることが推定されるのです。
とはいえ、小碗に描かれた絵を見て官人の後ろに動物が描かれていることをだれもが納得できるとは思われません。そこで、器種は異なりますが、小碗の官人図と同様の文様を描いている皿の文様を参考に見てみます(写真2)。写真2のうち、1は景徳鎮産ですが、2〜4は器壁の厚い粗製の焼物であり福建省漳州(しょうしゅう)市周辺で焼かれた製品(漳州窯系と呼称)であることが判明しています。
写真2.大坂城出土官人図小皿
写真2-1は図2-1・3の小碗と同じように官人の後ろに描かれた部分に点が入り、目を表現していると考えられます。写真2-2〜4は粗製の皿です。写真2-2では官人の後ろに耳の長い動物が座っている姿が描かれています。胴部には斑点が描かれていますので、鹿を描いていると考えられます。写真2-3はお尻の部分だけが残っていますが、2と同じ文様が描かれていると考えられます。写真2-4は官人も動物も向かって右に顔を向けて描かれています。右側の尖った三角形の部分が顔、左側にはお尻と尻尾が描かれているのではないかと考えます。
このように、小皿に描かれた文様から、小碗の絵柄も官人を中央に描き、その後ろに鹿の顔と前脚を描き、もう一方にお尻を描くという構図であることが想定されるのです。
さて、一見して動物と分からない小碗の図柄をみると、絵付師が鹿と意識して描いていたのか、単に文様として描いていたのか定かではありません。ところで、青花に描かれる図柄として、鹿はとくに類例の多い動物です。中国では鹿が長寿、魔除けのなどの吉事の象徴とされており、とりわけ官吏にとって「禄」と「鹿」の音が共通することから、出世の階段を上がり、繁栄するという吉祥の図案とされているそうです。小碗や小皿に描かれた官人と鹿は、縁起のよい図柄の器として日本でも好まれたのだろうと考えられます。
しかし、絵付けをする人たちのなかには、官人と鹿が一緒に描かれるはずの本来の図柄の意味が失われていったのではないかと考えられるのです。
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