豊臣石垣コラム Vol.63

大阪城北辺の徳川期石垣

大阪城の北に位置するJR東西線の大阪城北詰駅、大阪メトロ長堀鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅、京阪電車天満橋駅などから大阪城を目指しますと、南から見る大阪城の景色とはだいぶん違った大阪城を見ることができます。今回は北から見た大阪城の姿の一端を紹介します。

大阪城の城域北側は第二寝屋川と寝屋川で画されていますが、徳川期末期の姿を比較的留めた明治19年測量、明治21年刊行の『大阪実測図』(図1上)と現在の地形図(図1下)を比べてみますと、川筋の変化がよく分かります。

明治時代の地図には青屋口の北東部に多数の建物が建つエリアがあります。このエリアは徳川期には蔵が立ち並んでいた曲輪ですが、この地図が作られた時は陸軍砲兵工廠の敷地となっています。この北側は東から流れ込む平野川と南から流れ込む猫間川が合流して西に流れる川幅の広い川となります。現在、この川は第二寝屋川となっていますが、徳川期には平野川と呼ばれています。

図1.明治19年測量『大阪実測図』(上)と現在の地形図(下)

図1.明治19年測量『大阪実測図』(上)と現在の地形図(下)

★①:水上バス乗場付近の石垣、★②:砲兵工廠水門

写真1.水上バス乗場付近の徳川期石垣(北西から)

写真1.水上バス乗場付近の徳川期石垣(北西から)

さて、明治時代の地図を見ますと、平野川南側のラインが直線的に描かれていることがわかります。この直線に描かれた部分は徳川期に築かれた大坂城の北端を画す石垣です。

この石垣は現在も残っていますが、大阪城ホールと大阪ビジネスパークを結ぶ「大阪城新橋」を境にそこから東側にはよく残っていません。唯一、大阪城水上バス乗場の南西に一部石垣が残っています(図1‐①、写真1)。この石垣に沿って第二寝屋川の南岸を西に向かって歩いて行きますと、この石垣は途中で途切れますが大阪城新橋の西側で再び現れ、河川敷の遊歩道の南壁として石垣が残されています。地表に顔を出している高さは2mほどですが、石垣はさらに深くまで続いていると考えられます。また、石垣は部分的に積直されたり、モルタルで覆われていたりする部分がありますが、途切れることなく残っています。

写真2.砲兵工廠水門跡(図1★②地点 東から)

写真2.砲兵工廠水門跡(図1★②地点 東から)

大阪城ホールを過ぎて少年野球城との境まで進みますと、遊歩道が途切れて進めなくなります。ここに遊歩道を横断する水門があるからです(図1-★②地点)。陸側からはフェンスで囲われよくわからないのですが川岸から見ますと切石をアーチ状に組んだ水門であることがわかります(写真2)。この水門は、明治3年(1870)に造兵司(砲兵工廠の前身)の荷揚用の水門として作られたものです。門際には太い木杭が隙間なく打込まれている様子が確認できます(写真3)。

写真3.水門前面に打込まれた木杭

写真3.水門前面に打込まれた木杭

砲兵工廠の水門を過ぎ再び遊歩道に降りて西に進みますと、新鴫野橋の橋脚に突き当たり、ここで遊歩道は終了します。河川敷は連続しているのですが、橋脚を囲むフェンスで遊歩道が途切れてしまうのです。河川敷から上にあがりますと、新鴫野橋の西に「桃園」があります。ここから西側は河川敷に降りられる場所がありません。桃園から京橋にかけてのエリアは徳川期には三の丸北曲輪と呼ばれた曲輪で、曲輪の北側には高い石垣が残っています。曲輪側からは石垣を見ることができませんので京橋を北にわたって、寝屋川の対岸(図1★③)から石垣を撮影したものが写真4です。

写真4.三の丸北曲輪北面の石垣(ほぼ同じ高さに石組溝が多数開口しています)

写真4.三の丸北曲輪北面の石垣(ほぼ同じ高さに石組溝が多数開口しています)

石垣に多数の石組溝が開口している状況が確認できます。本丸の石垣や二の丸の石垣にも石組溝が開口している姿は見られますがこのように石組溝が並んで開口しているところは他にありません。ほとんどの石組溝は最近水が流れた様子は見られませんが、写真の一番左側の石組溝からは絶え間なく水が流れ出していました。石垣が築かれた当初はこのように川に向かって水が排出されていたのかもしれません。大阪城の北辺は低湿で排水の必要があったのだろうと思われます。

大阪城北辺の石垣は元和6〜8年(1620〜1622)に行われた第1期工事で築かれており、写真の位置は若狭京極家と加賀前田家が分担している場所だと思われます。この石垣には現状では近づけませんが、遊歩道際の石垣には刻印が見られるものや、花崗岩ではない石材も見られます。本丸や二の丸とは違った景色がみられることと思います。遊歩道は桜並木ともなっていますので、この機会に大阪城の北を画す石垣を見学してみてはいかがでしょうか。

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