太閤秀吉が築いた初代大坂城の石垣を発掘・公開への取り組みと募金案内。

新着情報

「外交の舞台・大阪城〜大阪城の秋まつり2019〜」にて
豊臣石垣特別公開イベント

令和元年11月3日(日・祝)、11月4日(月・振休)

令和元年11月3日(日・祝)、11月4日(月・振休)の2日間、大阪城公園の本丸広場において、現在は地下に眠る豊臣秀吉が築いた初代大坂城の石垣を公開します。期間中は、普段は非公開の石垣を地上から覗き込んでご覧いただきます。

この2日間は、本丸広場で「外交の舞台・大阪城〜大阪城の秋まつり2019〜」を開催しております。ぜひ、ご家族そろって大阪城公園へお越しください。

公開概要

  • 実施日時:令和元年11月3日(日・祝)、11月4日(月・振休)
    各日10時から16時まで
  • 実施場所:大阪城本丸広場(大阪市中央区大阪城1-1
  • 参加費:無料

謎の石垣(豊臣石垣)について

豊臣秀吉が築いた大坂城は、現在の大阪城の地下に埋まっています。

この事実が明らかになるきっかけになったのが、昭和34年(1959年)に行われた大坂城総合学術調査で、本丸のある地点を掘り下げたところ、地下約7.3メートル付近から火災の痕跡の残る石垣が発見されました。

ただしその時は「この石垣は豊臣時代のもの」という結論には至らず「謎の石垣」と呼ばれていました。しかしその後に調査研究が進み、研究者の間では「これこそが豊臣時代の石垣だ」という確信が深まっていきます。

そうした中、昭和59年から60年にかけて行われた金蔵東の発掘調査により、地下から「謎の石垣」以来となる大規模な石垣遺構が検出され、この石垣と「謎の石垣」、そして豊臣時代大坂城本丸絵図の比較により、地下石垣がいずれも豊臣時代の石垣で間違いなく、今の大阪城の石垣が全て徳川幕府再築時のものであり、豊臣時代の大坂城は地下に眠っているという事実が確定しました。

昭和34年に発見された豊臣石垣は、地上から覗き込んでご覧いただけるように「井戸」状に保存していますが、普段は安全のため非公開となっています。