石垣石材表面の強化作業等を行いました!  令和4年5月25日掲載

設置した足場を使用し、石垣表面の調査を行った結果、剥落等のおそれがある箇所や間詰石が抜けている箇所が判明したので、石垣石材表面には風化を防ぐための強化剤の塗布を行いました。また、剥落等のおそれがある部分には接着剤等での補強、間詰石が抜けている箇所には 石垣の安定に最低限必要な間詰石の設置を行いました。
この作業により、より良い状態での保存・展示が可能となりました。

 

  • 石垣石材表面の風化防止のための石材強化剤塗布状況。スプレーで塗布を行いました。

<塗布作業状況>

(天端)

(南面)

(東面)

 

  • 石垣表面の割れ・剥落防止のための接着剤塗布状況。細かい部分は先の細い器具を使用し、作業を行いました。

<塗布作業状況>

 

  • 石垣の安定のための間詰石の設置状況。

<間詰石作業状況>

緩みのある間詰石は軽く押し込んで固定させます。

石垣足場を設置し、石垣石材表面の調査を行っています!  令和3年11月30日掲載

釜場を設置し、溜まっていた水が排水されたので、工事は次の段階へ進みます。
長年(約400年!)地下に眠っていた石垣は、想定していたより風化が進んでいたため、より良い状態で保存・展示ができるよう石垣石材表面の調査を行い、剥落等のおそれがある箇所を中心に薬剤を塗布する検討を行っています。

調査を行うためには、石垣に近づく必要があるため、石垣に沿って足場を設置しました。

<足場設置状況>

足場設置状況①

 

足場

地下7mの地表に排水釜場(排水ます)を設置しました!  令和3年10月12日掲載

発掘調査を終え、次の工程(今後、順次アップ予定)に移る予定でしたが、周辺に降った雨水が石垣から現場内に流れ込んでおり、また、地下7mの地盤は、雨水等を浸透しない土質であったため、雨水が溜まりつづけ、地下遺構の保護のために敷設した砂層(保護砂)が滞水し泥状化しました。

<雨水による溜水状況>
20210609_石垣周り湧水-1
20210609_石垣周り湧水-2

このままでは工事継続が困難であったため、雨水排水方法の見直しとして、地下遺構への影響がないことを確認した上で、排水釜場の形状・設置位置を変更し設置しました。
設置後は釜場に周囲の水を集め、ポンプを使って排水を行います。

<排水釜場設置状況>
排水釜場設置状況
釜場製作

 

 

石垣周囲 断面イメージ

石垣の状態を継続して観察するためのセンサーを設置しました!  令和3年5月26日掲載

貴重な文化財である豊臣石垣を、将来にわたり良好な状態で保存していくためには、現在の石垣の状態を把握し、石垣に影響を及ぼす可能性のある様々な要因を想定した上で、変化が生じていないかを継続して観察していく必要があります。

このため、豊臣石垣が構築された時代のものと考えられる石垣背面の盛土層においてボーリングを行い、土壌を採取し土質性状を確認するとともに、地中の温度や含水量を継続的に計測するためのセンサーを設置しました。

今後は、計測データをもとに、露出した石垣の乾燥・湿潤状態を確認していきます。

なお、豊臣石垣背面の盛土は、上町台地の地層を材料としていることがわかりました。

<ボーリング作業状況>

ボーリング作業状況

 

<石垣断面イメージ>

石垣断面イメージ

 

<ボーリングで採取した土壌>

ボーリングで採取した土壌

豊臣石垣を見学された「太閤なにわの夢募金」サポーターの有識者の方々からコメントを頂戴しました  令和3年3月9日掲載

有識者の方々の豊臣期石垣見学の様子

大坂城跡の発掘調査において、展示施設にかかる予定範囲内の豊臣石垣が全て発掘されたことから、「太閤なにわの夢募金」サポーターを務めていただいている有識者の方々が、石垣をご見学されました。
ご参加いただいたサポーターの皆様から、豊臣石垣公開施設の完成に期待を寄せるコメントを頂戴しましたので、ご紹介いたします(五十音順)。


笠谷和比古

大阪学院大学法学部教授・
国際日本文化研究センター名誉教授
笠谷 和比古 様

~豊臣大坂城は商都大阪の原点~

秀吉の造った大坂城は、現在の大阪城の四倍規模を誇っていた。秀吉は最晩年に大坂城を難攻不落の要塞とすべく、郭内の商家・町屋を城の境界である東横堀川の西に広大な商業地区を造成して移転した(「大坂町中屋敷替え」)。今日の船場、御堂筋界隈です。今回の発掘は豊臣氏の栄光の復活とともに、商都大阪の意義を再認識する機縁ともなることでしょう。石垣公開施設の完成が待たれます。ぜひ皆様、募金への御協力をお願いしたく思います。

千田嘉博

城郭考古学者・奈良大学教授
千田 嘉博 様

近世城郭の成立に大きな位置を占めたのが豊臣大坂城。豊臣大坂城石垣公開プロジェクトで展示・公開を予定するのは、豊臣大坂城の最重要区画だった詰丸(つめのまる)石垣。今回の発掘で、秀吉も秀頼も、おねも淀も見た本物の石垣が姿を現しました。この石垣の公開施設が完成すれば、豪華絢爛な豊臣大坂城の姿を体感するだけでなく、火を受けて傷ついた石垣の姿に、戦国の戦いの厳しさも実感できるでしょう。ますます豊臣石垣公開施設の完成が楽しみになりました。「太閤なにわの夢募金」へのご協力をお願いいたします。

谷 直樹

大阪市立大学名誉教授
谷 直樹 様

私の高校時代、教室の窓から大阪城の雄大な姿が眺望でき、城郭建築の勉強をしたいと思いました。おなじ頃、建築史家の宮上茂隆氏が、徳川幕府の大工頭であった中井家資料の中から「豊臣時代大坂城指図」(平面図)を発見し、復原図を作成されました。その後、半世紀にわたる調査・研究によって、徳川大坂城の石垣の地下に、豊臣大坂城の石垣が眠っていることが分ってきました。私は大学院に進学して中井家の資料に出会い、中井家の研究がライフワークになりました。膨大な中井家資料の中には、徳川大坂城の再築に関する指図や文書も含まれています。現在、「大工頭中井家関係資料」(重要文化財)は、私が館長である大阪くらしの今昔館に寄託・収蔵されています。現在の大阪城は、豊臣と徳川の歴史が重なる日本でも稀な史跡です。そのことを理解するために、豊臣大坂城の石垣遺構を展示する「豊臣石垣公開施設」の開館を待ち望んでおります。
(コメント中の役職はご見学当時のものです)

発掘された豊臣石垣の画像を公開します   令和3年2月19日掲載

豊臣期大坂城石垣
『豊臣石垣公開プロジェクト』は「特別史跡大坂城跡」の魅力向上を図る事業として、平成25(2013)年度に開始されました。
事業に伴い行われた発掘調査は、平成25年7月に開始され、調査の節目ごとに現地公開を行ってまいりました。
今回、公開予定の豊臣期の石垣の全容が明らかになったことから、施設建設に先立って現地公開を行うと共に、現地を見学いただけなかった方々にも発掘された石垣をご覧いただけるよう、令和3年2月19日から21日に行われます現地説明会の資料と合わせ、豊臣石垣の写真と動画を掲載いたします。