大坂城跡の発掘調査において、展示施設にかかる予定範囲内の豊臣石垣が全て発掘されたことから、「太閤なにわの夢募金」サポーターを務めていただいている有識者の方々が、石垣をご見学されました。
ご参加いただいたサポーターの皆様から、豊臣石垣公開施設の完成に期待を寄せるコメントを頂戴しましたので、ご紹介いたします(五十音順)。
大阪学院大学法学部教授・
国際日本文化研究センター名誉教授
笠谷 和比古 様
~豊臣大坂城は商都大阪の原点~
秀吉の造った大坂城は、現在の大阪城の四倍規模を誇っていた。秀吉は最晩年に大坂城を難攻不落の要塞とすべく、郭内の商家・町屋を城の境界である東横堀川の西に広大な商業地区を造成して移転した(「大坂町中屋敷替え」)。今日の船場、御堂筋界隈です。今回の発掘は豊臣氏の栄光の復活とともに、商都大阪の意義を再認識する機縁ともなることでしょう。石垣公開施設の完成が待たれます。ぜひ皆様、募金への御協力をお願いしたく思います。
城郭考古学者・奈良大学教授
千田 嘉博 様
近世城郭の成立に大きな位置を占めたのが豊臣大坂城。豊臣大坂城石垣公開プロジェクトで展示・公開を予定するのは、豊臣大坂城の最重要区画だった詰丸(つめのまる)石垣。今回の発掘で、秀吉も秀頼も、おねも淀も見た本物の石垣が姿を現しました。この石垣の公開施設が完成すれば、豪華絢爛な豊臣大坂城の姿を体感するだけでなく、火を受けて傷ついた石垣の姿に、戦国の戦いの厳しさも実感できるでしょう。ますます豊臣石垣公開施設の完成が楽しみになりました。「太閤なにわの夢募金」へのご協力をお願いいたします。
大阪市立大学名誉教授
谷 直樹 様
私の高校時代、教室の窓から大阪城の雄大な姿が眺望でき、城郭建築の勉強をしたいと思いました。おなじ頃、建築史家の宮上茂隆氏が、徳川幕府の大工頭であった中井家資料の中から「豊臣時代大坂城指図」(平面図)を発見し、復原図を作成されました。その後、半世紀にわたる調査・研究によって、徳川大坂城の石垣の地下に、豊臣大坂城の石垣が眠っていることが分ってきました。私は大学院に進学して中井家の資料に出会い、中井家の研究がライフワークになりました。膨大な中井家資料の中には、徳川大坂城の再築に関する指図や文書も含まれています。現在、「大工頭中井家関係資料」(重要文化財)は、私が館長である大阪くらしの今昔館に寄託・収蔵されています。現在の大阪城は、豊臣と徳川の歴史が重なる日本でも稀な史跡です。そのことを理解するために、豊臣大坂城の石垣遺構を展示する「豊臣石垣公開施設」の開館を待ち望んでおります。
(コメント中の役職はご見学当時のものです)